「これ……綾さんが作ったんですか?」
「そうだよ。作業に夢中になってたからご飯食べるの忘れてて、あとは健ちゃんが知ってる通り」

 圧巻、というしかない光景が、健一の目の前に広がっていた。
 学校の美術室を思わせる広く簡素な部屋の中には、工具やら何に使うのかわからない材料らしきものが雑然と散らばっていて、 その中央に巨大なオブジェが鎮座している。健一の身長よりも遙かに高い。 四メートル近い天井に届きそうなほどの威容からは、不思議な迫力を感じた。
 金属製の門松。健一がオブジェに対し抱いたのは、そんなイメージだ。
 しかしその形容も正しいようで正しくないようで、ただ見る者の視線を捉えて離さない、強烈な存在感を持っていた。
 複数のパーツが複雑に絡み合った形状を観察する限り、確かにこれを作ってたのなら三日でも早いくらいかなあ、と思う。
 綾が作業をしているところは見たことがないので何とも言えないが、少なくとも健一がこんな大きな物を製作しようとすれば、 一週間どころか一ヶ月掛けても完成させられるかどうか怪しい。

「……凄いですね。僕は芸術とかよくわからないですけど、綾さんの作品は好きですよ」
「気に入ったんならこれ、あげよっか? 助けてもらったお礼もまだしてないし」
「いや、だから別にお礼が欲しかったわけじゃないですし、こんな大きいのもらっても家に置く場所ないですよ……」
「そう? じゃあさ、あの辺のとか手頃だし、どうかな」

 言って綾が指差した方には、棚の上に両手で抱えられる程度のサイズの造形物がいくつも並んでいた。
 統一性は全くなく、共通点と言えば金属でできていることと綾が作ったことくらいだが、 どれもが部屋の中心のオブジェと同じように、健一の気を引き寄せて止まない何かを秘めている。

「あの……これって全部、高いものじゃないんですか?」
「うーん、どうだろう。中学の時とかにちょこちょこ作ったのばっかりだし、私、お金にはあんまり興味ないから、 どれがいくらで売れるとかも知らないんだよね」
「え、中学の時にこれを作ったんですか?」
「そうだけど」

 にしては、恐ろしい出来栄えだった。
 健一は驚きと感心を半々に、作品の下に置かれたネームプレートを見る。
 そこに書いてある日付は、逆算すれば確かにほとんど綾が中学生の頃のものだ。

「はあー……。凄い人は昔から凄いんだなあ」
「ふふん、少しは見直した?」
「はい。かなり見直しました」

 健一がそう答えると、綾は機嫌良さそうに表情を綻ばせた。
 そんな彼女を横目に軽く下がって門松オブジェを見てみると、存在感はそのまま、また違ったものに思えてくる。
 才能、という単語が健一の脳裏に浮かんだ。もし綾の才能を数値化することができたら、どれくらいになるのだろうか。

「こういうのを作れる人が、世の中にはゴロゴロいるんですか?」
「どうだろ? 私は作るのが好きでやってるだけだしなあ。凄いのかどうかはよくわからないんだけど」
「こんなに感動したのは中央公園のオブジェを見た時以来ですよ。あれを作った人って、この街に住んでるんですよね」
「ん? 中央公園のオブジェって『時の番人』のこと?」
「そういう名前なんですか。たぶんそれだと思うんですけど」
「あ、あれね、私が作ったやつだよ。小五の時かな、自由研究するの忘れてたから、夏休みに作ったのを提出したんだ。 そしたら美術の先生が勝手に市の人に贈っちゃって、あの公園に飾ろうって話になったんだよね。 以来あそこにあるんだけどさ、人のものを勝手に贈っちゃうなんて、酷いと思わない? お気に入りだったのに……」
「……えっと」

 本人の許可もなく自由研究の完成品を公共物にするのは、まあ確かにちょっとどうかとも思うが、 そもそも普通はそんな展開にはならない。むしろ名誉なことだと喜ぶ人だっているだろうに、 綾の話はどこか論点がズレている気もする。
 
「あれを、小五の時に作ったんですよね」
「うん。背が足りないからお父さんに脚立を支えてもらって、苦労してたのを覚えてるよ」
「……あのですね、綾さん。僕、ずっと前からあのオブジェが凄く好きだったんですよ。 だから作者に会えてラッキーだなって思ったりしてるんですけど」
「そうなの?」
「はい」
「じゃあさ、しかもその人とエッチまでできて超ラッキーとか思ってない?」
「……今ので綾さんの評価が少し下がりました」
「えー。思っててくれたら嬉しいんだけどなあ」

 どうやら何が何でもそっちの方向に話を持っていきたいらしい。
 もし再び同じ状況になれば、雰囲気で流されてしまいそうなので健一は強引に路線変更した。
 というより、一つ気になっていたことがあったのだ。

「綾さん、あのドア、ちょっと変じゃないですか?」
「別にいつもの通りだけど」
「いえ、そういうことじゃなくて……」

 至って普通のドアだった。一般家庭のものと何ら変わらない規格だ。
 が、妙な違和感がある。そしてそれは、健一がふと振り返った時に判明した。

「このオブジェ、どうやって外に出すんです?」

 部屋の真ん中にどどんと聳える、全長三メートル超のオブジェ。対しそれを通すべきドアは、二メートルあるかないか。
 どう考えても、尋常の手段では運び出せそうにない。
 綾はオブジェとドアへ交互に視線を移し、最終的に健一へと向けて、てへへと苦笑いを浮かべた。

「……そういう冷静な判断は苦手なんだよね」






 どうにかこうにか分解したパーツを全て廊下に運び終わった頃には、健一の息は切れていた。
 見た目通り、一個一個がかなり重い。金属の塊なので当然と言えば当然なのだが、体力の消耗具合は予想以上だった。
 額に滲んだ汗を、健一は袖で拭う。成り行きで手伝ってしまったが別に今日やらなくてもよかったんじゃないのかと思い綾を見ると、 彼女は首を傾げて並んだパーツとにらめっこをしていた。

「ねえ健ちゃん、組み立ては渡す時にした方がいいよね」
「ここで組み立てても階段で引っ掛かるんじゃないかと」
「なら今日はここに置いとくかなあ」

 そんな風に会話していると、誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。
 あるはずのない十三階に入ってこられる人、つまり、

「この階には他にも誰か住んでるんですか?」
「うん。鍵を持ってればここに来れるみたいだし、昔から色々な人が住んでたみたい。今は私と健ちゃんと管理人さんだけだけど」
「管理人さん?」
「私が勝手にそう呼んでるの。本当は八雲刻也って人」

 それは健一にとって、聞き覚えのある名前だった。
 階段の側から現れた青年の姿を見て、健一は自分の想像が当たりだったと気づく。
 すらりとした背に、若干怖いが凛々しい顔付きをした彼は、健一のクラスメイトだ。
 とはいえ話したことはまるでなく、元々彼自身必要以上に他人と会話をしないようで、健一との接点はゼロに等しい。
 入る高校を間違えたと揶揄されるほどの成績で、いつも掛けている素っ気ないデザインの眼鏡も合わさり、 堅苦しく知的な印象が強い。かといっていわゆるガリ勉に見えるというわけではなく、 表立ってはいないが女子にも人気がありそうな男である。

「あれ、健ちゃん知ってるの?」
「……一応。クラスメイトなんですけど、話したことはないんですよ」
「そっか。そうだよね」

 綾は一人でうんうんと納得し、刻也が近づいてくるのを眺める。
 向こうは綾の隣にいる健一を見つけ、しかし歩く速度を変えはしなかった。
 おそらく彼の部屋、1302号室の前で立ち止まる刻也に、綾は健一のことを紹介しようとしたが、その言葉は途中で遮られた。

「絹川健一でしょう。クラスメイトです、名前くらいは把握しています」

 どうやら刻也も健一の名前は知っていたらしい。健一に向けて軽く頭を下げる。
 それを挨拶と判断し、健一は彼の名前を言うと共に手を差し出したが、握手まではしてくれなかった。
 妙な空気になり、伸ばした手をどうしようかと思う。
 が、刻也はまるで気にする様子もなく、廊下に物を置くのは感心しませんね、と綾のオブジェを指して指摘した。

「明日には運び出すから、今日のところは見逃して欲しいんだけど……」
「わかりました。明日まだあるようでしたらこちらで処分します。それでいいですね?」

 二人の問答が繰り広げられている間に宙に浮いた手を引っ込め、健一は苦笑する。
 その後、刻也は着替えのために部屋へ入り、彼に言われた通り綾と一緒に1301へと移動した。
 綾の不穏当な発言を聞かれてしまったことが少し、いや、かなり気がかりだったが、そこはもう考えない。
 むしろ健一は、1301で刻也に言われたことの方が気になっていた。

「きっと気に入る、か。どういう意味だったんだろうな」

 部屋から出ると、白衣一丁じゃちょっと、ということで着替えに行っていた綾が戻ってきたところだった。
 1303号室の前で立ち尽くす健一を見つけ近寄ってくる綾の格好は、またおよそ女性らしくないものだ。
 カーペンターパンツなんて、年端も行かない少年が穿いている姿しか思い浮かばない。
 ある意味では新鮮なのかもしれないが、お世辞にもエレガントとは言えないだろう。

「……もう、話、終わった?」
「はい。でも、綾さんに聞いた以上のことはわからなかったです」
「で、健ちゃんは自分の部屋に入ろうとしてるんでしょ? 私も一緒に見ていい?」
「見たことないんですか?」
「うん。1301と自分の部屋以外は入れないから。部屋の主が鍵を開けてくれれば大丈夫なんだけどね」
「……あれ、じゃあ何で八雲さんはあんなことを言ったんだろう」
「ん?」
「さっき、八雲さんが帰る前に部屋を見ていけって言ったんですよ。そうすればきっと気に入るからって。 それって、この部屋の中がどんな風になってるか知ってるってことじゃないんですか?」

 管理人さんですし、と茶化して付け加えると、綾は自信有り気に健一の言葉を否定した。
 しかし、健一が追求しても開錠を促されるだけで、どうやら刻也と全く同じ意見らしい。
 ここで悩むのもどうかと思い、健一は鍵を差し込んだ。奇妙な形状のそれは、すんなりと穴に入り、 捻ることでがちゃりと少々重い音を立てる。鍵を引き抜き、ノブに触れて捻れば、僅かに軋みながらドアは開いた。
 途端視界に移るのは、綾の部屋とは違う間取りの玄関だ。1304、そして1301に入った時にも感じたのだが、 廊下の現代的な雰囲気とは一線を画している室内様式を目にすると、玄関を境にして別の世界に踏み入ったような気になる。
 靴を脱ぎ、奥に向かって進んでいくにつれ、健一は不思議な既視感を覚えていた。どこか古びた、懐かしい雰囲気のする場所。
 木目調の下駄箱と傘立て、小さな段差を越えて続く廊下。扉が四つ、全て右側にあり、一番奥にも一つある。
 確信めいたものを抱きながら、健一は玄関から最も近い扉を開けた。……予想通り。そこはお手洗い。

「……そうか」

 1303号室……この部屋は、今の家に越してくる前に住んでいた、都会のマンションと同じ作りをしている。
 懐かしさの正体はつまり、そういうことだ。見覚えがあるのも当然だった。

「わかった? 何で気に入るって言ってたか」
「えっと……これってどういうことなんです?」
「さあ。私にもよくわからないし。でも、一つ確かなことがあるよ」
「何ですか?」
「きっとね、健ちゃんはこの家に住んでた頃が好きだったんじゃないかな」

 綾にそう言われ、健一は疑問に思うより先に納得してしまった。
 思い返す。仕事好きでいつも慌しくしていた両親と、姉と、四人家族であるのは今も変わらない。 けれど、手狭な団地の一室を手放し、都心から離れた、この頃より大きな家を買っても、両親はごちゃごちゃした都会で、 健一と蛍子の二人を置いて暮らしている。
 別に、あそこを離れなくても良かったのだ。両親は都会の方が好きで、たぶん、健一もそうだった。
 時々しか帰ってこない今より、狭苦しくても家族でいられたあの頃が一番幸せだったのかもしれない。
 もう、両親も蛍子も本当のあの部屋にはいないけれど。この部屋からは、過去の懐かしさしか感じられないけれど。

「気に入った?」
「……はい。ここに住むかどうかはともかく、また来たいと思うくらいには」

 健一のそんな言葉を聞いて、綾は嬉しそうに、そっか、と呟いた。






 強いて理由を挙げるとすれば、後ろ髪を引かれるような気持ちがまだ残っていたからだろうか。
 意味もなくおめかしをして、普段より気合を入れた服で、千夜子は瓶井戸公園に足を運んでいた。
 体裁上は、散歩ということになる。実際、特に目的も決めず来たのだから、散歩以外の形容は思いつかなかった。

「……絹川君」

 昨日、あんな光景を見ることさえなかったら。
 千夜子はもっとすっきりした気持ちでここにいて、勇気を振り絞り、ツバメに呼び出してもらった健一に告白していたのだ。
 まず伝えたいという想いがあった。勿論、それが叶えば自分は世界中の誰より幸せになっていたと思う。
 叶わなければそれはそれで、悲しくて泣くだろうが、辛くて胸が痛むだろうが、最終的には割り切れるはず。

 でも、初めから答えが決まってるなんて。
 伝えるまでもなく、望む答えが得られないのがわかってしまう。

「あれが、夢だったら良かったのに……」

 言って、自分でも虚しい言葉だと思った。
 現実は変わらない。絹川健一は昨日、見知らぬ女性とマンションの中に入っていった。
 ツバメは偶然道端に倒れてた人を助けただけかもしれないと楽観視したけど、今時行き倒れなんて本当にあるのかと聞かれれば、 千夜子は首を横に振る。常識的に考えて、例えば三日四日何も食べずに倒れることがまず有り得ない。
 もし何らかの病気持ちで、発作が起きて動けなくなったところを健一に助けられたとしても、 それでは健一を引き連れていた時の元気そうな様子が説明できない。千夜子の記憶が確かなら、女性はあの時薄く笑っていた。 儚げな雰囲気は感じられず、ただ快活に。
 他にも、彼女は健一の親戚だとか、幼馴染だとか、親しい近所のお姉さんだとか、そんな考えが頭を過ぎったけれど、 全てを否定するに足る材料が一つある。それは証拠と呼ぶにはあまりに不確かで、しかし、 恋をしている千夜子にとっては何より信じられるものだ。

 ――あの笑みには、熱が篭もっていた。
 上手くは説明できない。ただ、友人や家族に向けるような表情ではないと、そう思う。
 だから千夜子は、多くが不明瞭な現状での告白を躊躇った。  健一が彼女と付き合っていなければ、答えはまだわからなかっただろう。 けれども、そうでないのなら、千夜子の告白はおそらく健一を酷く悩ませてしまうかもしれない。どうやって断るか、そのことで。

「……健一さん」

 ふっと、想い人の下の名前が口からこぼれた。
 いつかそう呼べる日が来たら、そんな想像をしたことも、一度や二度ではない。
 俯きながら悩ましい溜め息を吐いてとぼとぼ歩いていると、千夜子の視界に人影が入った。

「え……っ!?」

 咄嗟に慌てて近くの木の陰に隠れる。
 そこは拓けた場所で、空間の中心には特徴的なオブジェが置かれていた。
『時の番人』という名が付けられた、世界でも著名なアーティスト、アヤ・クワバタケの作品。
 千夜子が知っているのはその程度だが、芸術に疎い彼女でも凄いと思えるような力強さが『時の番人』からは感じられる。
 問題は、オブジェのすぐそばにいる人影だ。見間違えようはずもない、健一だった。
 彼は物憂げな表情でオブジェを見上げ、ぼんやりと眺め続けていた。十分経っても、二十分経っても、 ほとんど身動きも取らず、飽きることなどないというように、ずっと。
 やがて視線が外れ、健一はオブジェから離れて歩き出す。公園の外に出るために。
 その後ろ姿を見送り、千夜子は先ほどまで健一が立っていた位置まで近づいた。

 いったい、何を見ていたんだろう、
 健一の目が映すものはきっと、他人とは違っている。そんな確信を千夜子は持っている。
 それは窓の外で羽ばたく鳥だったり、このオブジェを通した何かだったりするのだ。
 千夜子は、健一が見ているものの正体を、知りたかった。
 そして、叶うなら、同じものを一緒に見ていたかった。

「………………ああもう、駄目だ私、こんなんじゃ」

 うじうじ考えるのはやっぱり似合わない。
 やるだけやって、悩むのはそこから。今は自分ができることを、頑張るしかないだろう。

 勝負は明日。
 まず最初は、お友達から。



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何かあったらどーぞ。